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  群馬県に生まれ、高崎高校、群馬大学医学部を卒業後、平成8年に群馬大学の眼科学教室に入局。西毛地区の基幹病院である下仁田厚生病院・富岡総合病院・藤岡総合病院にてそれぞれ眼科医長を務め白内障手術を習熟、研修医の2年間および5・6・7年目は緑内障を中心に群馬大学にて眼科学を学び、平成17年4月、藤岡市に「いとう眼科」を開設いたしました。
 私は大学時代、硬式テニス部に所属していました。毎日テニスウェアで登校し、朝から晩まで(授業のあるはずの時間も(^_^)v)テニスコートで過ごし、本当に一年中肌は真っ黒けでした。体育会系の部活だったのですが、成績をなかなか残せず、リーグ戦降格の責任を取り坊主頭になったりしたこともありました。星空を見上げながらの腹筋、水道が凍った中の朝練、初日で声がつぶれて出なくなった合宿、団体戦では99%勝てない試合も涙を流しながら「絶対あきらめない」と応援したことなどを思い出すと、今でも胸が熱くなります。
  この大学時代は私にとっての宝物で目標に向かって一緒にがんばる仲間を得られたこと、結果はともかくひたむきに目標に向かって努力することは結果以上に大切であるということを学んだ時期でした。
 こういう一途な気持ちで医療に取り組み、こういう仲間と一緒に生涯仕事ができたらいいなと思っていました。
 医師になってからは眼科の同期が12人もいて、皆で一日も早く一人前の眼科医になれるようお互いに切磋琢磨しあい、辛いながらも楽しく過ごせるという環境に恵まれました。
 朝8時に手術室に入って予定手術が夜中過ぎまで、さらにその後急患の手術で手術室を出るのが丑三つ時、その後に学会の準備で東の空が白み始めるまで研究室。そしてまた朝手術室へなんてこともままありましたが、そんな状況すら楽しんで乗り越えられたのも、学生時代に培った精神力と体力、それから一緒に頑張っている仲間たちの存在が大きかったと思います。
  医師になって6・7年目には大学病院での緑内障外来の責任者を任せていただき、群馬県およびその周辺300万人からの難治緑内障と日々向きあって密度の濃い時間を過ごさせていただき、患者さんからも多くのことを学ばせてもらう機会に恵まれました。
 群馬大学は伝統的に網膜硝子体を専門としている教室であったために、自然と糖尿病網膜症に対するレーザー治療などの機会も豊富にあり、失明の三大原因である糖尿病網膜症、緑内障白内障を専門とするのに日本一恵まれた環境でした。
 私が眼科医を選んだ理由は一番患者さんに治って喜んでもらえる仕事がしたいということでした。眼科は白内障の手術により、それまで見えなかった目に光をとり戻すことができ、その時を共有できることは医師冥利につきるのではと思ったからです。
 今でも白内障は私にとって最も大切な手術の一つですし、手術後見えるようになったと喜んでいただけることは何にも換えがたい喜びとなっております。
 開業するということは患者さんの目の一生を背負っていくということでもあるため、手術件数が2000件を超えてもその1例1例を1/2000という統計的な数字として扱わず、常にその人にとっては一度きりの手術である「一期一会」という感覚を忘れずに真摯に向き合っていきたいと思っています。また、自分に知識がないことは患者さんに対しての最大の裏切りであるということを肝に銘じ、日々知識の習得には貪欲に時間や投資を惜しまずに続けていかなければと思っています。
 医療においては「前言を撤回」とか「リセット」ということは罷り通りません。言葉・表情・態度どれも一度出た行為は取り消すことはできず、その行為に全責任を負うことから、すべての瞬間に最善の選択を出来るよう常に気を緩めてはいけないと思っています。また、手術などでもあきらめてリセットなんてことは許されませんので、その状況から最善の一手を積み重ねていくことが重要と思っています。次善ではなく最善を追求する気持ちが、現状に満足することなく日々向上していくことの糧となると思っています。
 施設に関しては設計の段階から長い間頭の中の「いとう眼科」に住み込んでいましたので思いつく限りの工夫、間取り、動線、収納は実現できたと思いますし、患者さんから清潔であるとか開放的であるとか、待ち時間を快適に過ごせますとのお褒めの言葉をいただくことは、とてもうれしく思います。

 しかし、医療の原点が人対人である以上、「いとう眼科」で一番大事なのはその中で働いている人であるという想いは、現在も強く持っています。社会保険労務士である実弟を事務長として迎えたのも、人に関してのスペシャリストとして、職員が働きやすい環境を構築する力になってくれることを期待してのことでした。それ以外でも、開業の立案段階から一心同体としてすべてのことに粉骨砕身してもらったことも順調に開院できた最大の要因と思います。


 開院してからしばらくは、大変な時期が続きました。患者さんの前に立つからには、職員ひとりひとりがプロとして応対しなければならないし、医療に関わる人間はミスから学ぶのではなく、ミスを起こさないように万策を講じなければならない、そこに一切の妥協は許されないとの思いから非常に高度なレベルを職員に要求し、そこへの到達を急ぎすぎてしまっていました。過度な期待を寄せすぎることで、それが職員にとって重圧となり、思い描いていた「いとう眼科」とは違う方向へ向かってしまっていた時期もありました。なかなか理想の形になれないあせり・いらだちで苦悩の日々が続きました。そんな折患者さんにアンケートにご協力いただき、暖かい言葉をたくさんいただきました。そんな状況でも頑張ってくれる職員がいました。あきらめてはいけないと思い、できることを必死に模索しました。せっかく医療に対する資質を持ち努力を惜しまない職員がそろってくれたので、その職員が楽しみ、やりがいを感じて仕事ができるような環境を得るため、自分自身を客観的にみて、私自身が成長していかないといけないと気づくまでに、大分時間を必要としてしまいました。

  相手の非を見つける行為はお互いにネガティブなスパイラルにしか成りえず、いいところを見つけて伸ばしてあげることがポジティブなスパイラルへと発展し得ること。
  いろいろな結果に対しての原因は自分以外の人や物のせいではなく、すべて自らの責任と認識すること。 頭ではわかっていても実際にできていなかったことなどが次々出てきました。
  現在は皆が同じ目標に向かってそれぞれ努力をして、医院としてのまとまりを感じられるようになってきました。さらに、家族のように団結できるようになったとき、私たちの考える理想の「いとう眼科」に皆さんをお迎えすることができるようになると思います。今はそこへ成長する過程ですが、その過程を大事に、日々医療に真摯に向き合い努力を積み重ねていきたいと思います。
 
 地域の皆様これからもどうぞよろしく願いいたします。       平成18年12月
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